交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1

西暦2315年。12005年だった超未来から未来程度まで時代が引き下げられていて、冒頭の描写からするとひょっとしてスカブの侵攻も時代に合わせてあんまり進んでいない設定?いやいや司令クラスターはせりあがってきたしテレビと同様に地表は覆われていて…と混乱して早々と考えるのを諦めたのは、全力の戦闘描写に圧倒されて、ぽつぽつと出てくる情報を気にしていられなかったからである。

戦闘中のカウントダウンの読み上げも劇伴の一部のように聞こえて、あのままサントラに入ったりしないかなと思ったり。予告編の段階でライブ会場みたいなレーザーの出し方してるな…と思っていたシルバーボックスは、フェスがモチーフだとインタビューで語られ納得。納得して蓋を開けてみればマジで直球そのまんまか!と突っ込んだりした。

スカブとは人型コーラリアンとは何なのか、そもそも何がどうしてどうなったのか、テロップで解説は表示されているがシリーズ初見の人には分からないんじゃないだろうか。ただ実際分からなくてもドラマには問題ないだろうし、レントンも登場とともにどうでもよさげにバッサリ切り捨ててくれている。

じっちゃんがいないと口が悪くなってしまうのか、同じようにレントンの疾走から始まる『トレインスポッティング』へのリスペクトが強くなったのか、と色々考えさせられるモノローグのトーン。テレビシリーズだとレントンに寄り添いつつも、丸っきりレントンの視点というわけではなかったから、楽しいこと全然ない時期と状況ならこんな感じに胸中愚痴っていたかもしれない。

10年間でホランド拗れすぎじゃないの、エウレカはなんで溶けたのというのも、TVシリーズを見ていれば察せることではあるけど、これもレントンが知ったことじゃないから本作では不明とバッサリ大胆な感じ。物語の進め方として作り手が視聴者に対して謎の部分を作っているというのを、主人公の主観オンリーで謎な部分があるというのにがっつり変換した感じか。いや、それにしても新規映像のホランドから急に回想ホランドに行くと「拗れすぎじゃないの」ってなるわ。

力の入ったネクロシス作戦のシーンから急にTVシリーズの画面に突入していくのは、だんだん慣れてくるとはいえその差に大丈夫かなと不安になる。モーニング・グローリーに至るまでの長い溜めの展開であったどんよりした話たちも相まって、理屈の上では問題ないものの雰囲気は沈み込んでいく。

海外試写会のコメントや主題歌のMVで時系列シャッフルがあることは分かっていたから、画面を平均的にするために映画全体で10年前と現在を混ぜまくるのではと思っていたけど、そんなことはなかった。クオリティのためではないこのシャッフルは何のためにやっているのかと考えると、どう切り繋いでもどんよりとなりがちな流れを映画終盤に向けて上向きにしていくための仕組みだろうか。

ロボやヒロインといったサクサクした要素が10年前パートに固まり回想パートはしっとりしているというバランス。バッサリいった部分の行方。流れが断ち切られていることは確かなので面食らうシャッフル。この3点が鑑賞にあたって人を選びそうだけど、エウレカそのものが人を選ぶシリーズなので「らしい」とも言えるだろう。たぶん好きなはずのに人を選びそうな部分を探してしまう煮え切らない性格よ。「最高!」とか「全然ダメじゃん」とかはっきり喜んだり怒ったりできる人がちょっとうらやましくなる。

ディファレンシアで登場した町の名が『赤毛のアン』関連に変わっていたのは孤児が養子になる話繋がりだろうか。他の小ネタはクリムゾンキングの宮殿のウォールアートがハードフロアのアルバムに変わっていたりとわりと控えめ。と思っていたところであの次回予告。

ポスターもあったし信憑性は高いな。